葛警部という捜査官
物語の中心にいるのは、群馬県警に所属する葛警部です。出版社の紹介によれば、無口な性格で、上司や部下との関係も常に良好とは限らない人物として描かれています。その一方で、事件を解き明かす捜査能力の高さは出版社の紹介でも強調されています。
五編それぞれが投げかける問いの違い
『可燃物』は一つの事件を長く追う長編ではなく、五編からなる短編集です。共通するのは葛警部という捜査官ですが、各編が読者に投げかける問いの種類は編ごとに異なります。
『崖の下』は、スキー場で遭難者の死亡が発覚するところから始まります。ここでは、疑いの向く人物がいることと、犯行に使われたはずの凶器が見つからないことは別の問題として立ちはだかります。誰が怪しいかよりも、どうやって成立したのかという方法の説明に関心がある読者に向いた導入といえます。
『命の恩』は、山麓で遺体の一部が発見される事件です。遺棄された場所は隠すにはかえって不自然で、なぜ遺体を切り分けたのかという行為そのものの理由が問われます。誰が行ったかに加え、ある行動が選ばれた理由にも目が向く導入です。
表題作『可燃物』は、住宅街で起きた連続放火事件を扱いますが、事件は容疑者を絞り込む前に突然止まってしまいます。誰が火をつけたかに加え、なぜ起こり、なぜ止まったのかという経緯にも謎があります。犯人特定よりも出来事の因果関係を追う推理に関心がある読者に合った一編でしょう。
『本物か』は立てこもり事件を扱い、事件に見られる不審な点をどう読み解くかが焦点になります。
収録は計五編です。紹介した導入だけでも、凶器の所在、行為の理由、事件の始まりと終わりと、問いの違いが見えてきます。長編一本ではなく五編という構成であることで、一つの謎の型に留まらず、読者は複数の推理の切り口を続けて味わえる点も、本作を選ぶ際の判断材料になりそうです。
警察という舞台と「仕事としての推理」
作者の米澤穂信は、2023年7月26日に公開された文藝春秋「オール讀物」編集部によるインタビューで、ミステリーを書くうえで警察という舞台を選んだ理由に触れています。個人的な興味や偶然の思いつきではなく、事件と推理に組織の仕事として向き合う設定を選んだという趣旨です。これは警察組織の内情がまったく描かれないという意味ではなく、警察という職責を背景に置くことで、捜査員が事実を一つひとつ積み上げていく必然性を持たせる狙いがうかがえます。事件に向き合う立場が個人の好奇心ではなく仕事であるという点は、葛警部の振る舞いを読み解く手がかりにもなるでしょう。
論理だけを描く物語なのか
米澤穂信は2023年7月26日に公開された文藝春秋のオール讀物編集部によるインタビューで、仕事の仕方には人柄が表れるものであり、論理で組み立てた物語に人間の感情が加わることで小説の味わいが増すという趣旨を述べています。
この発言は、本作が「無口な捜査官」「警察による推理」という設定だけを理由に、感情や人間関係を排除した物語だと決めつける必要はないと考える手がかりになります。論理の筋道そのものに関心がある読者だけでなく、登場人物が仕事にどう向き合うかという姿勢に関心がある読者にとっても、本作は候補になります。両方の関心を同時に持って読み進めることも、どちらか一方を手がかりに読み始めることも、一つの選び方でしょう。
米澤穂信が語った、仕事の仕方に人柄が表れるという視点を踏まえるなら、各編の謎解きの過程を追いながら、同時に登場人物たちの仕事ぶりに目を向けるという読み方もできます。
事実の積み重ねを追う読書のために
一つの事件をじっくり描く長編とは違い、短編ごとに異なる謎と向き合えるのが本作の構成上の特徴です。無口な葛警部が、集められた証拠や証言をどう解釈し、筋の通った説明にたどり着くか。凶器の有無、行為の理由、事件の始まりと終わりなど、編ごとに問いの形が異なる点に着目すると、自分がどの種類の謎に関心があるかを見極めながら読み進める楽しみ方ができそうです。
音声で作品に触れる場合の選び方については、こちらの案内記事もあわせてご覧ください。
